直後の「お返し」と 何年たっても「ありがとう」の気持ちと ― 2008年08月01日 10時31分26秒
直後の「お返し」と 何年たっても「ありがとう」の気持ちと
ご近所に親しくお付き合いをしたいるご夫婦がいらっしゃる。 あえて言えば、一つのやや困ったしまうことがある、それは、とてもご丁寧過ぎることである。 例えば、旅行に行った時になど、話のタネにとちょっとしたお土産をと思っても、ついつい躊躇してしまう。 理由は、「倍返し」みたいな「お返し」を、直ぐに持ってこられることである。
私たちは、特に妻は、友人に何かの折にふれて、小さなレゼントをすることが、日頃の習慣になってところがあるかも知れない。花であったり、手紙であったり。 アメリカに住んだ時から、より気に掛けるようになったかも知れない。 でも、アメリカの友人から「お返し」をもらった記憶は確かにない。折にふれ、例えば次回に友人宅を訪問した時などに、さりげなく、プレゼントが飾ってあったり、美味しかった、とか、重宝して使っている、とか、感謝の気持ちを持ち続けていることを、表明されることが多いような気がする。
私たちは、子供たちとの誕生日、家族の結婚記念日などでのプレゼントは、自然にやっているが、バレンタインの義理チョコを除けば、お互い「お返し」はしない。来年のプレゼントはお互いにあるが、これは「お返し」とは言わないであろう。気持のつながりが自然と出来ているからだろう。
日本においては、長年の習慣、惰性なのか、プレセントを貰ったら、直ぐにお返しをしなければ、の気持ちがあるように感じる。もしかして、実は未だお互いに心の底までオープンにはなっていないのが、根底にあるのだろうか。急いで、実は未だ忘れない内に、の気持ちがあってか、「お返し」をされると、「借りは」作りたくない、お互いそんなに近い仲ではない、との心理的バックグランドが存在しているからか、とも感じられる。
自分の一方的な気持ちを相手に渡す – プレセント -- のも問題だが、「義理的、心理的、習慣的な行動 – 「お返し」 -- ので、相手を困惑させる状況にするのも、問題だ。実態として、好むと、好まざると、にかかわらず、日本人以外の人との接触が増えている現在、「お返し」の習慣は、そして、感謝の気持ちの表わし方は、どうあるべきか考えさせられる。
ご近所に親しくお付き合いをしたいるご夫婦がいらっしゃる。 あえて言えば、一つのやや困ったしまうことがある、それは、とてもご丁寧過ぎることである。 例えば、旅行に行った時になど、話のタネにとちょっとしたお土産をと思っても、ついつい躊躇してしまう。 理由は、「倍返し」みたいな「お返し」を、直ぐに持ってこられることである。
私たちは、特に妻は、友人に何かの折にふれて、小さなレゼントをすることが、日頃の習慣になってところがあるかも知れない。花であったり、手紙であったり。 アメリカに住んだ時から、より気に掛けるようになったかも知れない。 でも、アメリカの友人から「お返し」をもらった記憶は確かにない。折にふれ、例えば次回に友人宅を訪問した時などに、さりげなく、プレゼントが飾ってあったり、美味しかった、とか、重宝して使っている、とか、感謝の気持ちを持ち続けていることを、表明されることが多いような気がする。
私たちは、子供たちとの誕生日、家族の結婚記念日などでのプレゼントは、自然にやっているが、バレンタインの義理チョコを除けば、お互い「お返し」はしない。来年のプレゼントはお互いにあるが、これは「お返し」とは言わないであろう。気持のつながりが自然と出来ているからだろう。
日本においては、長年の習慣、惰性なのか、プレセントを貰ったら、直ぐにお返しをしなければ、の気持ちがあるように感じる。もしかして、実は未だお互いに心の底までオープンにはなっていないのが、根底にあるのだろうか。急いで、実は未だ忘れない内に、の気持ちがあってか、「お返し」をされると、「借りは」作りたくない、お互いそんなに近い仲ではない、との心理的バックグランドが存在しているからか、とも感じられる。
自分の一方的な気持ちを相手に渡す – プレセント -- のも問題だが、「義理的、心理的、習慣的な行動 – 「お返し」 -- ので、相手を困惑させる状況にするのも、問題だ。実態として、好むと、好まざると、にかかわらず、日本人以外の人との接触が増えている現在、「お返し」の習慣は、そして、感謝の気持ちの表わし方は、どうあるべきか考えさせられる。
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