「慰安婦問題で謝罪」 ではトップ記事にはならない ― 2007年05月07日 22時46分52秒
AW Sunday, May 6, 2007 (1764 Vol. 35 / No.17)
テレビ、インターネットなどの他メディアの急速な発達、特にスピード、によって新聞のあり方が大きく変わってきているのは衆目の一致するところだ。 新聞で、全く新しい記事を見ることは稀になってきた。 その反面、新聞のトップにどの記事が来るかを考えてみることが、世の中を見る目を養ってくれる、面白さ、頭の訓練となる面もある。
AWの今週号のトップは、私には予測ができなかった。 安部首相の訪米かもしれないとも思ったが、ヘッド ラインを見て、トップに来ていない理由がはっきりした。 内容、要するに成果が乏しいばかりか、返ってマイナス効果となりかねない内容であったのだ。
「慰安婦問題で謝罪」が、訪米の記事のヘッド ラインになるようでは、トップに来る訳がない。 これ以外に評価されるものがなかったとは、情けない訪米と言わざるを得ない、とAWは言っているように感じる。謝罪するのは誰に対してなのかも、不可思議だ。 本来、当事者に真っ先に「謝罪」すべきであって、アメリカに「謝罪」するのはどうかしている、との声もある。
米シティの日興の買収が、経済界、政界、庶民、に与えるかもしれない影響は、感覚的にも、実際上も、安部首相の訪問より大きいとの主張には同感だ。
テレビ、インターネットなどの他メディアの急速な発達、特にスピード、によって新聞のあり方が大きく変わってきているのは衆目の一致するところだ。 新聞で、全く新しい記事を見ることは稀になってきた。 その反面、新聞のトップにどの記事が来るかを考えてみることが、世の中を見る目を養ってくれる、面白さ、頭の訓練となる面もある。
AWの今週号のトップは、私には予測ができなかった。 安部首相の訪米かもしれないとも思ったが、ヘッド ラインを見て、トップに来ていない理由がはっきりした。 内容、要するに成果が乏しいばかりか、返ってマイナス効果となりかねない内容であったのだ。
「慰安婦問題で謝罪」が、訪米の記事のヘッド ラインになるようでは、トップに来る訳がない。 これ以外に評価されるものがなかったとは、情けない訪米と言わざるを得ない、とAWは言っているように感じる。謝罪するのは誰に対してなのかも、不可思議だ。 本来、当事者に真っ先に「謝罪」すべきであって、アメリカに「謝罪」するのはどうかしている、との声もある。
米シティの日興の買収が、経済界、政界、庶民、に与えるかもしれない影響は、感覚的にも、実際上も、安部首相の訪問より大きいとの主張には同感だ。
「ネットカフェ難民」について考えてみよう ― 2007年05月14日 08時46分50秒
AW Sunday, May 13, 2007 (1765 Vol. 35 / No.18)
私には、インターネットカフェとは、時折、通りがかりに外から眺める程度の接触しかなく、仕切りのない部屋にインターネットに接続されたパソコンが、オープンに並んだ様子が思い浮かぶ。 自宅にパソコンを所有しない、あるいはあっても、ネットへの常時接続環境のない人、または、旅行・出張中の人が、電子メール、ウェブページの閲覧、オンライン ゲームなどを行うのに利用されるものと思っていた。 しかし、私にとっては初めての言葉、「ネットカフェ難民」 (Net café refugees) に出会っては、見方を変えなければならない。
いろいろの形態があるが、オープン席と個室席に分けられる。オープン席は、近頃は、個室席人気に押されて減少し、個室席が主流を占めるようになってきた。個室席は、もともとは、オープン席のように隣席からの視線を気にせず利用できるよう、プライバシーを気にする顧客向けに用意されたものだが、事実上、宿泊にも使われているのが現状だ。
AWの記事によれば、全国に広がるインターネットカフェ (2005年の統計で、約 2,700店) の実に75%に、ネットカフェ難民が「居住」しているとのことだ。その背景には、長時間滞在する場合には、パック料金が適用されて割安となる店舗が多く、深夜サービスを行っている店舗も多い。家賃、家庭環境など諸般の事情から、24時間営業のインターネットカフェで夜を過ごし、日雇い派遣労働などで生活を維持している若年者の利用が多いようだ。
この例に見られるように、当初の目的、目論み、とは違った形で状況が変化し、新しい事業は進展することが結構多い。日本では、メール、インターネットへのアクセスのかなりの部分は、パソコンではなく携帯電話で行っており、インターネットカフェの存在の意味が変わってきているのも背景にありそうだ。これは、見方によってはビジネスチャンスであり、別の見方によっては、とんでもないことである。私たちは、このネットカフェ難民現象を、どのように捉えればよいのであろうか。犯罪の温床への危険性も感ぜられなくもない。 自分の身近な課題として、考えて見ることが必要だ。
私には、インターネットカフェとは、時折、通りがかりに外から眺める程度の接触しかなく、仕切りのない部屋にインターネットに接続されたパソコンが、オープンに並んだ様子が思い浮かぶ。 自宅にパソコンを所有しない、あるいはあっても、ネットへの常時接続環境のない人、または、旅行・出張中の人が、電子メール、ウェブページの閲覧、オンライン ゲームなどを行うのに利用されるものと思っていた。 しかし、私にとっては初めての言葉、「ネットカフェ難民」 (Net café refugees) に出会っては、見方を変えなければならない。
いろいろの形態があるが、オープン席と個室席に分けられる。オープン席は、近頃は、個室席人気に押されて減少し、個室席が主流を占めるようになってきた。個室席は、もともとは、オープン席のように隣席からの視線を気にせず利用できるよう、プライバシーを気にする顧客向けに用意されたものだが、事実上、宿泊にも使われているのが現状だ。
AWの記事によれば、全国に広がるインターネットカフェ (2005年の統計で、約 2,700店) の実に75%に、ネットカフェ難民が「居住」しているとのことだ。その背景には、長時間滞在する場合には、パック料金が適用されて割安となる店舗が多く、深夜サービスを行っている店舗も多い。家賃、家庭環境など諸般の事情から、24時間営業のインターネットカフェで夜を過ごし、日雇い派遣労働などで生活を維持している若年者の利用が多いようだ。
この例に見られるように、当初の目的、目論み、とは違った形で状況が変化し、新しい事業は進展することが結構多い。日本では、メール、インターネットへのアクセスのかなりの部分は、パソコンではなく携帯電話で行っており、インターネットカフェの存在の意味が変わってきているのも背景にありそうだ。これは、見方によってはビジネスチャンスであり、別の見方によっては、とんでもないことである。私たちは、このネットカフェ難民現象を、どのように捉えればよいのであろうか。犯罪の温床への危険性も感ぜられなくもない。 自分の身近な課題として、考えて見ることが必要だ。
セサミ・ストリート:子供たちに中東和平教育を!! ― 2007年05月24日 16時33分34秒
AW Sunday, May 20, 2007 (1766 Vol. 35 / No.19)
イスラエル版 (Israeli version) のセサミ・ストリート (Sesame Street) は、1980年代の初めに放映が始まり、大変な好評であったが、資金難のため中断していた。それが、今年の初めから、新しいキャラクターを引き連れて、約20年ぶりに中東地域に戻ってきた、と言うニュースだ。今回、イスラエル・シリーズで初めて、アラブのキャラクターが登場し、ヘブライ語とアラビア語の両方を話すなどの配慮がなされている。彼らは、平和や多様性を促進し、歯磨きの大切さを広めている、と報道されている。
セサミ・ストリートはアメリカでNPO: Sesame Workshopの手によって作成され、 1969年11月に放映が始まった教育とエンターテイメントを融合した子供向けのTVシリーズで、オリジナル版が120カ国に、さらに30余の地域版がつくられ、放映されている。日本でも、NHK(教育)テレビで、英語教育番組としてアメリカ・オリジナル版が1971年より放送が開始され、途中一時中断があったが、2004年まで放送が続けられた。NHKでの放送終了後、テレビ東京系列で日米共同制作による日本版セサミストリートが2004年秋より放送が開始された。アルファベット、数の数え方などを教えるのが中心のオリジナル版と違った、日本で製作された新キャラクターも登場する、日本向けのマペット劇が中心のシリーズである。
セサミ・ストリートが世界で大変な評判であるがため、いろいろの役割を期待がされいる。しかし、その期待は必ずしも同じではない。NHKでは生きた英語教育を期待された。私も他の英語教育番組にはない、新鮮な英語に胸をときめかせて観た記憶がある。テレビ東京版では、日本の子供たちを取り巻く環境を考えて共同制作され、小さな子供にたいする社会的教育が期待されているのだろう。今回のイスラエル版に、アメリカ政府筋は、これを通して中東問題に「新しい道」ができるのではないかと、期待しているようだ。
イスラエル版 (Israeli version) のセサミ・ストリート (Sesame Street) は、1980年代の初めに放映が始まり、大変な好評であったが、資金難のため中断していた。それが、今年の初めから、新しいキャラクターを引き連れて、約20年ぶりに中東地域に戻ってきた、と言うニュースだ。今回、イスラエル・シリーズで初めて、アラブのキャラクターが登場し、ヘブライ語とアラビア語の両方を話すなどの配慮がなされている。彼らは、平和や多様性を促進し、歯磨きの大切さを広めている、と報道されている。
セサミ・ストリートはアメリカでNPO: Sesame Workshopの手によって作成され、 1969年11月に放映が始まった教育とエンターテイメントを融合した子供向けのTVシリーズで、オリジナル版が120カ国に、さらに30余の地域版がつくられ、放映されている。日本でも、NHK(教育)テレビで、英語教育番組としてアメリカ・オリジナル版が1971年より放送が開始され、途中一時中断があったが、2004年まで放送が続けられた。NHKでの放送終了後、テレビ東京系列で日米共同制作による日本版セサミストリートが2004年秋より放送が開始された。アルファベット、数の数え方などを教えるのが中心のオリジナル版と違った、日本で製作された新キャラクターも登場する、日本向けのマペット劇が中心のシリーズである。
セサミ・ストリートが世界で大変な評判であるがため、いろいろの役割を期待がされいる。しかし、その期待は必ずしも同じではない。NHKでは生きた英語教育を期待された。私も他の英語教育番組にはない、新鮮な英語に胸をときめかせて観た記憶がある。テレビ東京版では、日本の子供たちを取り巻く環境を考えて共同制作され、小さな子供にたいする社会的教育が期待されているのだろう。今回のイスラエル版に、アメリカ政府筋は、これを通して中東問題に「新しい道」ができるのではないかと、期待しているようだ。
「カトリーナ」の命名はなくなるか!? ― 2007年05月29日 08時43分34秒
AW Sunday, May 27, 2007 (1767 Vol. 35 / No.20)
全ての台風 (typhoon, hurricane, cyclone, etc) には、それを認識し、大洋での移動を追跡するために、名前が付けられている。 日本では (第二次大戦後の一時期を除いて) 数字の番号が付けられているが、世界的には女性の名前が付けられているのは、周知のことだ。
世界気象機構 (?) (The World Meteorological Organization) は、太平洋と大西洋に 6つの名前のセットを用意し、毎年順繰りにそのセットを使用し、6年後にはまた元のセットに帰って繰り返し使用している。 Q, U, X, Y およびZ を除くアルファベットを頭文字とした名前が選ばれ、Aから順番に使われている。 ハリケーンの死者、被害額などが極端であった場合は、その名前をリストから削除して2度と使わず、新しい名前が選ばれ追加される。 リタイアした名前は、Allison、Iris などがあり、 2005年のカトリーナ (Katrina) も当然リタイアし、Katia に置き換わった。
女性の名前のみを使うことに当然ながら異論が出ているが、AWの記事によれば、次第に減る傾向にはあった Katrina は、2005年には1950年以来最低のレベルに凋落してしまった。しかし、ロスアンジェルス (LA) 近郊のトーランス (Torrance) に住む Billis さん一家のように、いろいろの事情から Katrina と名付ける人もまだいる。 識者の予測によれば、Adolf (Hitler) とは様子が違って、絶えてしまうことはなさそうだとのことだ。日本では、逆に、「佑樹」、あるいは「佑」、「樹」の字を含む名前の赤ちゃんが、昨年夏以来増えていることだろう。
全ての台風 (typhoon, hurricane, cyclone, etc) には、それを認識し、大洋での移動を追跡するために、名前が付けられている。 日本では (第二次大戦後の一時期を除いて) 数字の番号が付けられているが、世界的には女性の名前が付けられているのは、周知のことだ。
世界気象機構 (?) (The World Meteorological Organization) は、太平洋と大西洋に 6つの名前のセットを用意し、毎年順繰りにそのセットを使用し、6年後にはまた元のセットに帰って繰り返し使用している。 Q, U, X, Y およびZ を除くアルファベットを頭文字とした名前が選ばれ、Aから順番に使われている。 ハリケーンの死者、被害額などが極端であった場合は、その名前をリストから削除して2度と使わず、新しい名前が選ばれ追加される。 リタイアした名前は、Allison、Iris などがあり、 2005年のカトリーナ (Katrina) も当然リタイアし、Katia に置き換わった。
女性の名前のみを使うことに当然ながら異論が出ているが、AWの記事によれば、次第に減る傾向にはあった Katrina は、2005年には1950年以来最低のレベルに凋落してしまった。しかし、ロスアンジェルス (LA) 近郊のトーランス (Torrance) に住む Billis さん一家のように、いろいろの事情から Katrina と名付ける人もまだいる。 識者の予測によれば、Adolf (Hitler) とは様子が違って、絶えてしまうことはなさそうだとのことだ。日本では、逆に、「佑樹」、あるいは「佑」、「樹」の字を含む名前の赤ちゃんが、昨年夏以来増えていることだろう。
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