ニューイヤー駅伝、箱根駅伝、ライスボウル2009年01月04日 16時34分39秒

年初の一番の楽しみは、なんと言っても家族が一堂に集まって、
新しい年に向けたスタートを祝うことである。

それに続く、私の楽しみは、
元旦の「ニューイヤー駅伝」(全日本実業団対抗駅伝)、
2日・3日の「箱根駅伝」(東京箱根間往復大学駅伝)、そして、
3日の「ライスボウル」(日本選手権・ライスボウル)、
と続く三つのスポーツのビッグ イベントである。

富士通 9年ぶり優勝
強風下で冷静にラスト勝負制す
大接戦
富士通 三つどもえ制す -- 1秒差
残り50メートル 冷静にスパート

東洋大 悲願の初V
出場67度目 -- 若いチーム 一丸
9区 おびき寄せ作戦ズバリ
東洋大、初の総合V
監督代行、巧みな選手起用
粘りの走り、再逆転よぶ

17-13 パナソニック電工の連覇阻む
立命大、5年ぶり日本一
堅守 最後まで
立命大、守って頂点
パナ電工破り 5年ぶり3度目
研究結実 窮地に好プレー

上の三つのフレーズは、それぞれに関する新聞の見出しである。
これでも分かるとおり、これら勝利した3チームには、幾つかの共通点がある。

先ず、どの勝者も本命視されてなかったこと。
勝者は周到の上にも周到な準備をしていたこと。
熟練者の知恵でのリードと若者の勝利にかける熱意が勝因であること。
正に、 “Yes, we can!!”&“Change!!”の体現である。
とても厳しい現実が目の前にある今年、私たちを勇気づける、
またとないスタートと言える。
この例にならって、今年、走って、考え、そして、また、走って、考え・・・いい年にしよう!!

書と具象と抽象と2009年01月13日 13時58分35秒

書き初めの正月と言うこともあり、また、妹が佳作に入選したとの報せがあったことでもあり、六本木の国立新美術館に、第57回独立書展を見に行ってきた。 2階と3階の広いスペースを使って展示された、膨大な作品群に圧倒された。  「独立」とは、「個々人が独立した書人」という意味であり、
したがって、書展を主催している「独立書人団」とは、
「作家意識を持った人たちの集団」を意味しているとのことだ。

これだけの数、種類の書の展示会を見るのは、初めての経験だった。
もちろん、何かを訴えようとの意志の下に、書かれているのだろうが、
先ず、何と書かれているか簡単に分かるのが30%、残る20% が判じもの、
残りは、書と言うより絵画とでも表現した方が素人には分かり易い。
具象と抽象の間の何か、とでも言えそうだ。

展示を見ていて、感じたのは、一字一字は判然と何か分からないが、
スペース全体として、何か訴えるものがある –- 絵画的な視覚とでも?
があり、本来の字の意味がそれに合致しているタイプの作品が、
意外にも私には心地よかった。もともと、漢字は物の形を、
簡素化あるいは抽象化して、出来ているのだが、
「書」では、それを逆にした流れにして、創作しているのと言えようか。

自分が思っていること、他人が思っていること2009年01月20日 20時37分25秒

私のウォーキング コースは、コミュニティーを一周するコースをベースに、
その日の気分によって、遠回り、寄り道、などの変化を付けている。
基本のコースは早足で約40分、変化を付けてほぼ1時間を、
毎日のルーティンにしている。多摩丘陵に位置するので、
緩やかながらアップ・ダウンがあり、結構いい運動になる。

おおかた同じコースを毎日、ウォーキングしているのに、
その都度、見えること、記憶に残ること、忘れてしまうこと、
見落としてしまうこと、などが違ってくるのが面白い。

妻と歩く時には、私との視線/視点が違っていることが、よく分かる。
冬になると夏の間は見えなかった、小鳥の巣が梢のあちこちに
あるのが分かるが、これを気付かせてくれたのも妻である。
同じコースを何回もウォーキングしているのに、
私だけでは全く気がつかなかったことだ。

コースを反対回りにすると、全く気がつかなかった
景色に驚かされることも多い。こんなところに、
こんなきれいな木がある、きれいな花が咲いている、などと。

朝、昼、夕方、ウォーキングするタイミングによって、
記憶に残る風景も違ってくることも多い。
朝日の当たり具合、夕陽の当たり具合、影の出来方などで、
ずいぶん違ってくるのは驚くばかりだ。

私たちは、普段、自分の見ていること、常識と思っていることなど、
他の人も同じだとの思い込みで行動していることが結構多いが、
実は必ずしもそうでないことを、このウォーキングでの経験は、
改めて教えてくれる。

夫婦、家族、近所、そして、大きく言えば、世界のレベルで考える時、
もっともっと、それぞれの国、それぞれの民族などで、生活の背景、
常識、文化、そして、思い込みの違いがあることを、認識してないと、
お互いを正しく理解出来ないことに思い当たる。
TVあるいは新聞などを見ていて、昨今の悲しい争いの多くが、
お互いの違いを認め合うことで、回避あるいは軽減されるはずだ
と思うのは私だけではあるまい。

英語俳句のつもり2009年01月26日 21時54分26秒

A peaceful night,
My travel bag; my old friend,
the favorite sketchbook inside

これは何か。英語俳句のつもりである。
英語俳句と呼ばれる英語の詩があるのは知っているが、
実は、その定義を知らないから、「つもり」なのだ。
韻など踏んでみたいと思ったが、とてもとても。
リズムさえも、いまいちだ。
ただ遊んでいるだけ、とも言える。

妻がある俳句結社に属していて、何千句もある応募句の中から、
トップ30に選ばれるという、私たちにとっては「快挙」を成し遂げた。
二人でワイン祝福をしたが、何か私なりにお祝いが出来ないか、
と思っている時、ふと、英語俳句にしてみようかと思い至った、
のがこの「創作」の動機である。

トライをしてみて感じたのは、もちろん、逐語訳ではまったくNG。
意訳でもとても駄目だ。これはもはや翻訳ではなく、一種の創作だと感じた。
いったん日本語の俳句を脳裏から消して、改めて、何を感じたか、
何を見たのか、何を表現したいのか、をやらないと駄目だと。

元の句は、

良夜なり画帳入れたる旅鞄

それで、ふと我に返ると、何だ、日本人が英語をしゃべる時に、
もっとも大切にしなければならないこと、と同じだ。
頭の中に日本文を作って、それを英語になおしているのでは駄目で、
頭の中にいきなり英語が出て来なければ、上手な英語にはならないのだ。
と英語の上手な人に、口すっぱく言われたものだ。
今後も、折にふれて「創作」をやってみるのも悪くないか、とも思っている。