北京オリンピック、そして、東京オリンピック ― 2007年06月06日 11時27分58秒
AW Sunday, June 3, 2007 (1768 Vol. 35 / No.21)
北京オリンピック開催を、近代国家として全世界に認めさせる機会ととらえている中国では、表の近代的な通りのすぐ裏にあるスラム街をクリアし、近代的なビル街にしようとしている。 いろいろな事情で、今そこに住んでいる人たちの多くの犠牲もありそうだ。
それと協調して、社会全体のモラル向上にも、努めてようとしているようだ。例えば、
・立小便しない。
・道路など公共の場で、やたらと痰、つばを吐かない、タバコ、 ごみをポイ捨てしない。
・タクシー運転手は清潔にして、臭い足のにおいを消す。
これらの報道に接して、半世紀近く前の64年の東京オリンピック当時の日本はどうだったのか、世界から見るとどうであったのか、との思いがわいてくる。 道路、鉄道、建造物などのインフラの部分、上述したような社会生活、経済生活でのモラルの部分、共通しているところと、違っているところがある。 正の遺産もあるが、負の遺産も多い。正の遺産について語られることは比較的多いが、負の遺産について語られることは少なく、明確な記録も殆どない。
北京の状況を見て、64東京を振り返る視点で、今回誘致を進めている東京オリンピックのあり方を、将来を熟考した上で、庶民の立場で考え、発言し、行動することの大切さを、思わずにはいられない。
北京オリンピック開催を、近代国家として全世界に認めさせる機会ととらえている中国では、表の近代的な通りのすぐ裏にあるスラム街をクリアし、近代的なビル街にしようとしている。 いろいろな事情で、今そこに住んでいる人たちの多くの犠牲もありそうだ。
それと協調して、社会全体のモラル向上にも、努めてようとしているようだ。例えば、
・立小便しない。
・道路など公共の場で、やたらと痰、つばを吐かない、タバコ、 ごみをポイ捨てしない。
・タクシー運転手は清潔にして、臭い足のにおいを消す。
これらの報道に接して、半世紀近く前の64年の東京オリンピック当時の日本はどうだったのか、世界から見るとどうであったのか、との思いがわいてくる。 道路、鉄道、建造物などのインフラの部分、上述したような社会生活、経済生活でのモラルの部分、共通しているところと、違っているところがある。 正の遺産もあるが、負の遺産も多い。正の遺産について語られることは比較的多いが、負の遺産について語られることは少なく、明確な記録も殆どない。
北京の状況を見て、64東京を振り返る視点で、今回誘致を進めている東京オリンピックのあり方を、将来を熟考した上で、庶民の立場で考え、発言し、行動することの大切さを、思わずにはいられない。
中国:コーヒーの大消費地、名生産地に!? ― 2007年06月13日 13時21分46秒
AW Sunday, June 10, 2007 (1769 Vol. 35 / No.22)
私の記憶によれば、10年程度より前のアメリカの一般的なオフィスでは、コーヒーのコーナーがあり、ガラス製のポット(あるいはコーヒー・メーカーと言えばいいのか)が電気で常時暖めた状況にあった。従業員は度々ここを訪れてコーヒーを飲んだり、だべったりしていた。このコーヒーたるや、いあわゆる日本で言うアメリカン・コーヒーよりひどくて、薄い茶色の色のついただけのお湯のような、全く美味しくない代物であった。アメリカ人はコーヒーの味を知らず、かわいそうだと当時感じていた。ヨーロッパなどで、余りに水が不味いので、ワインを一日中飲んでいるのと同じなようなことかなぁとも。
この様相が変わってきたのは、多分7-8年程前か、スターバックス (Starbucks)、タリーズ (Tully’s) など、いわゆるシアトル系の、値段はそれなりに高いが美味しいコーヒーが出回りだし、オフィス・ワーカーや学生がコーヒー・ストアから買った紙コップを片手に通勤、通学をする光景が普通になってきた。丁度、この時期、紅茶の国イギリスでも、コーヒーの愛好者が増え始めた。この現象は偶然の一致ではなく、アメリカの流れの影響か、アメリカの進出か、なのだろう。
グローバルな時代、この流れか、違う流れか、分からないが、コーラが世界を制覇する例に倣うかのごとく、中国にもコーヒー愛好の機運が及んできているようだ。文化革命の時代なら、コーヒーを飲んだら投獄されたかも知れない中国で、今やコーヒーの消費量は、未だ少ないながら、二桁の伸びを示しているとのこと、驚異的な出来事だ。これと連動して、中国南部地方で生産されるアラビカ種が、品質も向上して、世界のコーヒー市場に大きな影響を持つ日が来るのだろうか。何年後のことかも分からないが、こんな分野にまで中国が世界的な影響力を持ちだすのだろうか、極めて興味深い。
私の記憶によれば、10年程度より前のアメリカの一般的なオフィスでは、コーヒーのコーナーがあり、ガラス製のポット(あるいはコーヒー・メーカーと言えばいいのか)が電気で常時暖めた状況にあった。従業員は度々ここを訪れてコーヒーを飲んだり、だべったりしていた。このコーヒーたるや、いあわゆる日本で言うアメリカン・コーヒーよりひどくて、薄い茶色の色のついただけのお湯のような、全く美味しくない代物であった。アメリカ人はコーヒーの味を知らず、かわいそうだと当時感じていた。ヨーロッパなどで、余りに水が不味いので、ワインを一日中飲んでいるのと同じなようなことかなぁとも。
この様相が変わってきたのは、多分7-8年程前か、スターバックス (Starbucks)、タリーズ (Tully’s) など、いわゆるシアトル系の、値段はそれなりに高いが美味しいコーヒーが出回りだし、オフィス・ワーカーや学生がコーヒー・ストアから買った紙コップを片手に通勤、通学をする光景が普通になってきた。丁度、この時期、紅茶の国イギリスでも、コーヒーの愛好者が増え始めた。この現象は偶然の一致ではなく、アメリカの流れの影響か、アメリカの進出か、なのだろう。
グローバルな時代、この流れか、違う流れか、分からないが、コーラが世界を制覇する例に倣うかのごとく、中国にもコーヒー愛好の機運が及んできているようだ。文化革命の時代なら、コーヒーを飲んだら投獄されたかも知れない中国で、今やコーヒーの消費量は、未だ少ないながら、二桁の伸びを示しているとのこと、驚異的な出来事だ。これと連動して、中国南部地方で生産されるアラビカ種が、品質も向上して、世界のコーヒー市場に大きな影響を持つ日が来るのだろうか。何年後のことかも分からないが、こんな分野にまで中国が世界的な影響力を持ちだすのだろうか、極めて興味深い。
ネイティヴでも難しい流行語の急増 ― 2007年06月20日 15時43分27秒
AW Sunday, June 17, 2007 (1770 Vol. 35 / No.23)
イギリスで、昔からのフレーズが人気を落としている一方で、一部のジャーゴン (jargon) が急速に普及している。そして、ネイティヴでさえ分からない言葉が増えているとのこと。特に、環境問題に関する言葉、セレブリティ文化に関わる言葉に、関心が集まっているようだ。例えば、二酸化炭素の測定に関する「カーボンの足跡」(carbon footprint)、とか、公衆の目前にデビューしたセレブリティ:「セレブタンテ」(celebutante) とか。
この傾向に対応すべく、イギリスでは流行語満載の辞書が発売された。世界中の書籍、新聞、ウエヴサイト、ラジオ、そしてTVプログラムから収集された 2,500万語のデータベースを使って編纂され、この6月4日に発行されたとのことだ。果たして、この辞書は英語圏で効果をあげるだろうか。もし、日本語版で出版されたとしも、効果をあげるのは難しいかも知れない。日本語は元々、英語などに比べて意味が多かったり、曖昧だったりする特性を持っているから、その微妙なニュアンスは簡単に言葉ではあらわせないのでは、と憶測する。
そして、この記事を読んで思い当たる。私たち夫婦は、2年半のアメリカ滞在から日本に帰ってきて1年半になるが、最初の一年間、分からない言葉にTVやら街角で頻繁に出くわし、浦島太郎的感覚だった。これは日本にいなかったことが主な原因なのかと思っていたが、最近どうもそれだけではないらしいと思い始めているところだ。日本に居てさえ、高校生など若者の言葉、TVのタレントの言葉、政治家の言葉、カタカナ英語など、さっぱり分からないのが多いのが現実であったのではと。そんな言葉の中から、話者がほんとに言いたい意味の、表も、裏も、感じ取るセンスを、より多くの機会をとらえて、磨かなければならないのだろう。
イギリスで、昔からのフレーズが人気を落としている一方で、一部のジャーゴン (jargon) が急速に普及している。そして、ネイティヴでさえ分からない言葉が増えているとのこと。特に、環境問題に関する言葉、セレブリティ文化に関わる言葉に、関心が集まっているようだ。例えば、二酸化炭素の測定に関する「カーボンの足跡」(carbon footprint)、とか、公衆の目前にデビューしたセレブリティ:「セレブタンテ」(celebutante) とか。
この傾向に対応すべく、イギリスでは流行語満載の辞書が発売された。世界中の書籍、新聞、ウエヴサイト、ラジオ、そしてTVプログラムから収集された 2,500万語のデータベースを使って編纂され、この6月4日に発行されたとのことだ。果たして、この辞書は英語圏で効果をあげるだろうか。もし、日本語版で出版されたとしも、効果をあげるのは難しいかも知れない。日本語は元々、英語などに比べて意味が多かったり、曖昧だったりする特性を持っているから、その微妙なニュアンスは簡単に言葉ではあらわせないのでは、と憶測する。
そして、この記事を読んで思い当たる。私たち夫婦は、2年半のアメリカ滞在から日本に帰ってきて1年半になるが、最初の一年間、分からない言葉にTVやら街角で頻繁に出くわし、浦島太郎的感覚だった。これは日本にいなかったことが主な原因なのかと思っていたが、最近どうもそれだけではないらしいと思い始めているところだ。日本に居てさえ、高校生など若者の言葉、TVのタレントの言葉、政治家の言葉、カタカナ英語など、さっぱり分からないのが多いのが現実であったのではと。そんな言葉の中から、話者がほんとに言いたい意味の、表も、裏も、感じ取るセンスを、より多くの機会をとらえて、磨かなければならないのだろう。
ウナギの蒲焼が高嶺の花に?! ― 2007年06月28日 14時12分26秒
AW Sunday, June 24, 2007 (1771 Vol. 35 / No.24)
私の (オリジナル) 得意料理 -- 当然大好きな -- は「うなねぎ丼」(私が勝手に命名) である。生のネギ (葱) を小口切りにして、丼に盛ったごはんの上に、ごはんが全く見えなくなるほどの厚さに敷き詰める。そこにウナギ (鰻) の蒲焼を2-3センチ角程度の大きさに切ってびっしりとのせ、特製のたれをかけて食する。料理が簡単で、栄養のバランスの良い、特にこれからの季節に合った料理だ。
この「うなねぎ丼」が、おいそれとは食べれなくなるかも知れないとの、私にとっては大変な報道である。 ワシントン条約の締約会議での、ヨーロッパ産のウナギ取引の制約、そして、ヨーロッパ連合でのヨーロッパ産ウナギの稚魚の保護、この二つの議決によって日本でのウナギの価格への影響が懸念されているのだ。
日本のウナギ消費量の半分以上は、中国からの輸入に頼っているのが現状である。 最近の、中国製の食料品の安全性の問題に加えて、輸入価格の高騰があるとピンチだ。中国のウナギの約10%は、ヨーロッパ産の稚魚からのものなので、ヨーロッパでの動きの影響が日本にも及ぶのだ。中国ではヨーロッパ産の稚魚の備蓄が未だあるので、直ぐには影響が出ないだろうとのことだが、家族も喜んで食べてくれる「うなねぎ丼」への影響が心配だ。世界のどこかで起こったことの多くは、直接、間接に、日本に影響が現れる時代になったと痛感する。
私の (オリジナル) 得意料理 -- 当然大好きな -- は「うなねぎ丼」(私が勝手に命名) である。生のネギ (葱) を小口切りにして、丼に盛ったごはんの上に、ごはんが全く見えなくなるほどの厚さに敷き詰める。そこにウナギ (鰻) の蒲焼を2-3センチ角程度の大きさに切ってびっしりとのせ、特製のたれをかけて食する。料理が簡単で、栄養のバランスの良い、特にこれからの季節に合った料理だ。
この「うなねぎ丼」が、おいそれとは食べれなくなるかも知れないとの、私にとっては大変な報道である。 ワシントン条約の締約会議での、ヨーロッパ産のウナギ取引の制約、そして、ヨーロッパ連合でのヨーロッパ産ウナギの稚魚の保護、この二つの議決によって日本でのウナギの価格への影響が懸念されているのだ。
日本のウナギ消費量の半分以上は、中国からの輸入に頼っているのが現状である。 最近の、中国製の食料品の安全性の問題に加えて、輸入価格の高騰があるとピンチだ。中国のウナギの約10%は、ヨーロッパ産の稚魚からのものなので、ヨーロッパでの動きの影響が日本にも及ぶのだ。中国ではヨーロッパ産の稚魚の備蓄が未だあるので、直ぐには影響が出ないだろうとのことだが、家族も喜んで食べてくれる「うなねぎ丼」への影響が心配だ。世界のどこかで起こったことの多くは、直接、間接に、日本に影響が現れる時代になったと痛感する。
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